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テニスと芝居とアイドルと

ハロコン感想

というわけで1/31 ハロコン2016冬福岡公演行ってまいりました!

ハロコン冬福岡は、奇しくも去年と同じ日程。つまり、私が初めて参戦したハローのコンサートから丸一年経ったということになるわけで、一年ぶりのサンパレスにちょっとしみじみしつつ。

単独に参加したのはアンジュコン2回(ライビュいれたら3回)、娘。コン1回のみ。というわけで、ほかのグループはきっかり1年ぶり、こぶしやつばきに至っては、生でパフォーマンスを見るのは完全に初めてである。それに新体制の娘。アンジュ、カンガルを生で見るのも初めて。というわけでわくわくそわそわどきどきしながら会場へと。

セトリやレポなんかはもう他の方々が上げてくださってるだろうから、私はただただ感想を書くだけである。

運良く目の前が通路の席だった私は、目の前で可愛くてキラキラしたアイドルが、確実に視線の合う位置で歌って踊っているという最高なシチュエーションにいたわけです。もう沢山来てくれすぎてテンパっちゃって誰が目の前に来たとか書ききれないんだけども。

そして私は、目の前の研修生ちゃんたちに打ち抜かれた。研修生まで追いかけてしまったらちょっと収拾つかなくなっちゃうやばいやばい、なんて思ってから、私は彼女たちの名前が分からない。多くの人が、ステージにいる推しを見ようとしている中で、通路にやってきた彼女たちは表情を曇らせることなく全開の笑顔で、精一杯全力でダンスをし続けるのだ。そんな姿を見ないでいるなんてむりだった、眩しい笑顔のトリコになった。ああ、ちゃんと顔と名前を覚えていれば今日目の前に来てくれたその子を推せるのに!!!と後悔しました研修生かわいい…。

 

こっからは簡単なユニット別の感想をば。

つばきファクトリー

あんまり目にする機会がなくてですね。だから実ははっきりとした印象付いてなかったんですが。少し自信なさげなイメージもあって。まだまだ蕾のような印象だったんだけど。堂々とパフォーマンスをする彼女たちから花開く美しさを感じた。蕾が少しずつ開花して、花弁の色が見え始めているような。色気もあって。匂い立つ花だと思った。まだつばきは推しを定められてないですね…。

 

こぶしファクトリー

力強さと勢いを強く実感したし、すでに新人っていう括りじゃなくて、しっかりしたステージングだったなぁと。初めての念念披露のインパクトを思い出した。彼女たちのパフォーマンスのパワフルさはすごい。でも、がなりの力強い楽曲の印象が多いけど桜ナイトフィーバーでは可愛らしさもあって振り幅の広さに期待大。もっといろいろ歌ってほしいな。こぶしは野に咲く花、という印象。雨にも風にも負けない、大地にしっかり根付いた花。猪突猛進聴けてよかった!特に目を引いたのは浜ちゃんとれいれいかなぁ。

 

カントリー・ガールズ

可愛いだけじゃなくなっているな、思った。勿論いい意味で。新人2人は研修生からってこともあるんだろうけど堂々たるパフォーマンスでほんと新人とは思えなかった、まったく。特にふなっきの歌声の安定感すごい。新曲のブギウギLOVEは、今までの「可愛い路線」とはちょっと違う感じだったし、ダンスも意外と複雑。それをさらっとこなすどころか「魅せる」域にすでにいるのがすごい。トークも面白くて、グループとしてどんどん良くなっていくなぁっていう印象。気になるのはやっぱりまなかん山木さんのお姉さん組です。

 

Juice=Juice

かなともを欠いた4人でのパフォーマンスなのに、いや、だからこそ?なのかな圧巻の一言。グループとしては最小の人数構成のはずだけど、その歌声の力がすごい。1人1人の歌唱力も、ユニゾンの美しさも。歌声の魅力がいっそ暴力的ですらある。そしてやっぱり、色気つよいな、と。色気のあるかっこよさを感じた。全員揃ったパフォーマンスも見たいなぁ。武道館も始まるから楽しみ。そして私が特に気になったのはやっぱりさゆきでした。あの歌声に惹かれずにはいられない。

 

モーニング娘。´16

鞘師っていう大きなエースを欠いた彼女たちが見せる楽曲は、どれも鞘師のラストシングルから。歌声だけじゃなくて、ダンスでもセンターにいた彼女の場所が空いている、というステージから漂うのは悲壮感じゃなかった。泣きそうになったけど、それは鞘師がいない悲しさとかじゃなくて、ただ胸が締め付けられるような感覚。きっと、彼女たちが前を向いて、地に足つけて、鞘師の穴を埋めるなんて消極的なものじゃなく、´16として自分たちで進む、っていう決意があったように思える。元々好きだったくどぅーに加え、まりあの表情の魅せ方に打ち抜かれてます。

 

℃-ute

安心安定トップグループ。ハローの中ではトップグループでありお姉さんグループっていう位置なんだと思うけど、パフォーマンスからもそれは強く感じる。これまでの積み重ねによる自信がある。わちゃわちゃとした感じも、長年の絆を感じさせるような。楽曲もね、感動するとかそういうんじゃなくて、ただぐっとくる。心に響く。存在そのものが、心を揺さぶる。そんな感じだった。圧巻。なっきぃが気になるかもしれないと思い始めた今日この頃。

 

アンジュルム

推しなので最後に持ってきちゃいました。かにょん卒業してかみこちゃん加入してから初めて見るパフォーマンス。 最も爆発的なパフォーマンスでもって、会場の熱気を煽ったのは彼女たちだと、贔屓目なしに思ってる。GRやハロステで聞いたかみこちゃんの歌声はすごく澄んでて綺麗だったけれど、最近のパワフルなアンジュルムの楽曲とあうのかな、とは思ってた。結論としては心配無用、ソロパートもしっかり歌いこなしてた。初々しさはまだあるけれど、もう新人じゃなくてちゃんと一員だった。そんな私はかななんめいめい推しです。

 

今回のハロコンの見せ場はユニットごとの楽曲シャッフルだと思うんですよ。

私が特に語りたいのはこの2つ。アンジュルムに念には念、娘。にミステリーナイトをあててくれてありがとう…!

娘。のミステリーナイトは、さくらやふくちゃんの色気が発揮されまくってましたが何より、くどぅーが…!!「今夜一人を選べるかな」をくどぅーのソロパートにしてくれたの本当にありがとうありがとう…。あのパートは色女のパートじゃなかった、色男だった…。イケメンだった…。

そしてアンジュルムの念念は、爆発力×爆発力=パワフルさMAX!な最高すぎる組み合わせ。かななんとめいめい推しなので「念には念をいれるんだ」を2人が担当していたことで大興奮でした。みんなそれぞれがなりもすごく決まってたんですよ…ほんとうにこの組み合わせ考えてくれた人は素晴らしい。

 

忘れないようにシャッフルコーナーのメモをば。

お願い魅惑のターゲット(牧野 勝田 小関 浅倉)
・だって 生きてかなくちゃ(工藤 宮崎 山木 新沼)
・Loving you Too much(中島 生田 羽賀 室田 上國料 稲場 浜浦)
ロマンティック 浮かれモード(嗣永 譜久村)

娘。の中ではくどぅーとまりあ推しなので見れたの嬉しかったし、福岡だから生田やかみこちゃんの九州組いるのも納得だなぁと思いつつ。

 めいかりんのデコボコセブンティーン見たかったなぁとちょっと思いました。

印象派 ルノアールのように はかなともいなかったので無理なのはわかってたんですが、かななんとおださくが同ユニット なの見たかったなぁ。

ということで円盤待機です。

 

 

 

 

人生初の落語のおはなし。

きっかけは本当に単純。

二宮和也出演スペシャルドラマ「赤めだか」である。二宮担の私は例に漏れず、このドラマを見ており、そして「落語、一度くらい見に行ってみたいなぁ」と思ったわけである。すると、運のいいことに父が「落語のチケットあるけど行くか?」と。

というわけで行ってきました、1月24日、三遊亭小遊三独演会。

まず始めに三遊亭遊里さんによる「まんじゅうこわい」。

私でも知ってるとても有名な話、とは言っても詳しい中身をきちんとしってるわけではなかったので、私はしばらくその話だとは気づいてなかったんだけど。

それまでの軽い雑談のような話ですら、早口のようで聞き取りやすく、そしてテンポや間の取り方がうまい。めちゃくちゃ面白くて大爆笑、ってわけじゃなくて、何気ない話なのに、ちょこちょこ軽く吹き出してしまうような、本当に「話が、というか話し方がうまい」だからこそ、何気ない話なのに笑ってしまう。なるほど噺家、なんて思ったわけだ。

だがそれは、本の序の口だった。実際に噺が始まると、そこにいたのは「たった1人の落語家」ではなかった、数多の人物がそこにはいて、口々に会話を繰り広げている。声色が違う?口調が違う?そんなレベルではなくて。声の出し方が、話し方が、ちょっとした仕草が、全て違う。まるで別人だ。全然違う声か、と言われるとそうじゃないんだけど、なのになぜか別人にしか思えない。

ほんのわずかな視線の向きで、本人たちの立ち位置がわかるようだった。ずっと正座の状態で、たった1人で、小道具はなし。

だというのに、場面が分かる、目の前に、確かに宴会場のような、その空間が見えるよう。

 

それだけで圧倒されたわけで。でもこの方はまだ二つ目の、お弟子さん。

今から、独演会のメインたる人物がやってくるわけで。

小遊三さんといえば、笑点で見たことある人なんて印象で。落語家としての姿はよく知らなかったわけですよ。

そしたらまぁ。今日という日に合わせたお話をすらすらと。そしてちゃんと笑いを取っていく。自虐ネタであったり、客いじりネタであったりといった内容を、しかしまったくもって不愉快な気分とか、かわいそうに、なんて気分にあることなく、ただただ笑ってしまうその話しぶり。徐々にお客さんの笑いのツボを浅くしていく、というか笑いが大きくなっていったところで、さぁお話。

今日の演目は「鮑のし」「文違い」の2つ。

女性役もこなされているわけですが、別に女装してるわけでもない。ビジュアルは本人そのまま、声だって「どう聞いても女性の声」なんてなるわけでもない。

でも確かに、そこには奥さんが、飯盛女が、いたんですよね。かと思えば、気のいいおじさんであったり、いかつい男性だったり、瞬時に演じ分けている。ピシッと頬を叩き、その次の瞬間には叩かれた人物を演じている。会話だって不自然な間もなく成立する。それも、立ち位置がはっきりわかるんですよ。ああ、今こう叩かれたから、この人はこういう方にのけぞったんだろう。2人の立ち位置がこうだから、会話してる時の目線がこうなってるんだな、と自然に認識できる。ただただ、すごい、って思ったし、そういう技術的な面もだけど、とにかく面白いんだ。

古典落語っていうのは、何度も何度も話されてきたものだろう、だけどたくさんの人がききに行きたくなるのは、何度聞いたって面白いからだ。

展開としては、まぁベタな話だったりもすると思うし、似たようなミス(ボケ)が1つの話の中で、何度も繰り返されるのに、毎回同じパターンなのに笑っちゃうってのは、すごいことだと思う。短時間に同じネタを何度聞いても飽きないんだから。

 

そして、あっという間に1つの話が終わり、気づいたら終幕。1時間半。普段2時間超の舞台、3時間近くのライブに慣れた身からするとびっくりするくらい短い。

一つ一つのお話が短めで、笑ってたらあっという間だった。

 

行ってよかっなぁと思うし、一度は行ってみたいな、だったのが。また行きたいなぁ、に変わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

越前リョーマは実在した。

頭悪そうなタイトルだけど仕方ない、だって実際そうだったのだ。

というわけで許斐先生のライブの感想第二弾。今回は小越リョーマについて。

次元という概念が消失した空間。そこは、夢の世界だった。 - A✕A✕A

ちなみに第一弾はこちらです。

内容一部被るというか、1つの書ききれなかったからこそ単独記事にして書こうと思ったわけですが。

 

小越勇輝という俳優は、2011年~2014年の約4年間に渡る長期間、それも無印原作全42巻分を最初から最後まで座長として、主人公・越前リョーマとして、駆け抜けてくれた人物で、テニミュ出演公演数が歴代キャスト最多の通称「プリンス・オブ・テニミュ」だ。彼が駆け抜けたのは「テニミュ2ndシーズン」。

そしてテニミュは現在3rdシーズンを迎えており、つまり彼はOBになるわけだ。

既に卒業してる上にテニミュ現役のリョーマ役がいるのだから、彼がまた「越前リョーマ」になる機会なんてあり得るはずがなかった。というか、許されるとは思わなかった。

その上、彼は本当に直前まで金髪だったのである。リハーサルに参加しました、といっていたのはライブの2日前。その時はまだ金髪で、髪の毛もふわっふわでリョーマとはまったく違う髪型。それを、髪を染めて、髮型だって整えてくるまで完全に作り上げてくるとは思ってなかった。

当日にブログあげられた写真がこないだのです、だった時点で気づくべきだったのかもしれない、とは今になって思うことではあるけれど。

と、ここまではあくまで前提。本題はここではない。(長い)

ようは、それくらい「小越勇輝の越前リョーマ」が復活するなんてことは、ありえないし、想定されていないことだったのだ。おそらく、これまでの声優さん立ちのイベントのように「本人として」ジャージを羽織って登場するくらいだろう、と誰もが思ってたに違いない。

 

このライブは、最新の技術によって原作絵のキャラが3次元として現れ、アニメの声で喋り、歌い、そして踊って、先生と絡んでくれるという奇跡みたいな時間で、キャラが漫画から「飛び出してきた」夢のライブでした。そんな中唯一、ミュキャスであった彼が登場した。

テニミュっていうのは、やっぱりキャラがそのまま飛び出してきた「ような」ってことになっている。「まるで」原作そのまま「みたい」であって「飛び出してきた」ではない。

観る側は、あくまで役者さんが演じてくださっているとわかった上で、キャラがそこにいるように感じるのである。これは多分、どの2.5次元舞台においても同じだと思う。舞台だと知って、分かって、観劇に来ているのだから。

 

でも今回はそれまでとは勝手が違う。だって今回は「テニミュ」じゃない。「舞台」じゃない。原作者である許斐先生のワンマンライブで、遊びに来るのは「原作キャラクター達」なのだ。

先生がこれまでに制作なされた楽曲達を披露するライブで、登場曲含む序盤3曲はオール新曲で先生おひとり。そして、原作キャラとのデュエットターンが4連続で始まった。

・金ちゃんは自分自身は入ってないユニット曲(作詞作曲:許斐先生)ではあるが、お祭り騒ぎな曲で本人にぴったりの「テニプリ Fantastic Bazerのテーマ」

・不二は自分自身のキャラソン(作曲:許斐先生)「Grand Slam」

・幸村は許斐先生個人名義の曲(作詞作曲歌:許斐先生)だが、歌詞の内容が本人にしっくりくる「Smile」

・白石は、自身が参加したユニット曲(作詞作曲:許斐先生)「Brave heart」

と、それぞれにあった選曲、かつ全て先生の手によって作られた楽曲を先生とともに歌い上げている。

白石が歌った「Brave heart」は、他のキャラ達がリョーマのことを語っているような内容の曲。そこからの流れで、リョーマと先生の掛け合いデュエット曲である「フェスティバルは突然に(勿論作詞作曲:許斐先生)」が持ってこられるというセットリスト。

勿論この流れで先生と歌うのが「越前リョーマ」でないわけがない。

だからこそ、もう1人唯一ゲスト参加が発表されていたリョーマの声優さんである皆川純子さんが、これまでのイベントと同様にいっしょに歌ってくださるのだろう、あるいは「原作絵の越前リョーマ」が、歌うのだろうと誰もが考える。

 

そこに現れたのは、小越リョーマだった。

私が4年間見続けていた、1年前まで見ていた、大好きなリョーマの姿。

 

原作キャラにとっての越前リョーマってのは、やっぱり原作の越前リョーマだと思う。そして、それまでずっと原作キャラが出てきていた流れの中、その上、原作キャラの「Brave heart」によって呼び込まれて、「フェスティバルは突然に」を歌うために、リョーマそのものの姿で、仕草で登場した彼は、もはや「テニミュに出ていた役者小越勇輝」ではなかった。「原作から飛び出してきた越前リョーマ」と、ほぼ同義だった。

1年だ、1年もの間彼は「越前リョーマ」という役から離れていた。そしてもうテニミュは「卒業」している。だからこそ今の彼は「テニミュ越前リョーマ」には決してなれない。じゃあ、私の目の前にいた、あのリョーマはなんだ、って考えたらそりゃ「越前リョーマ」としか言い様がないのだ。

フェスティバルは突然にの歌詞に、こんなパートがある。

先生「これからも、さぁ聞かせておくれ」

リョーマ「まだまだだね」

これは、よく考えたらありえないことなのだ。だって小越リョーマが復活するなんてことは、きっともう二度とない。だから、彼の「まだまだだね」を聞くことなんて、もうできない。

でも、確かにこのパートは歌われた。歌詞の通りに歌っただけ、と言われたらそうなのだけれど、そうじゃなくて。

・原作キャラたちが連続して出てきた流れの中歌われた

・この曲はアニメのリョーマ(≒純ちゃん)の歌う曲

・おごたんはテニミュで無印リョーマを最初から最後まで演じきった

だから、この時のこの曲での彼は「原作のリョーマ」であり「アニメのリョーマ」であり「テニミュリョーマ」だった。

彼は、「完全なる越前リョーマ」として、その場にいてくれた。だからこそ「越前リョーマ」の「まだまだだね」はこれからも聞くことができるんだって、そんなふうに思えたんだ。

 

アンコール前、本編終盤。純ちゃんが登場した時、黒と白とピンクのワンピース。

先生の「今日は青じゃないんだ?」という言葉に「いつもは青なんですけど、今日は新テニの負け組意識です」と。

そして歌った新曲詞の内容が、原作終了後の、あるいは新テニ現在の軸のリョーマのような歌詞で。つまり、小越リョーマが演じていないリョーマの歌だ。そして、レギュラー陣の声が入っていることで、その曲を歌ってるのは皆川純子ではなく越前リョーマだと思えた。

「フェスティバルは突然に」を、そして「青学ジャージ」を、小越リョーマに譲った

=原作無印のリョーマを、小越リョーマに託してくれたように、そして新テニのリョーマを純ちゃんがしてくれたように、思えた。

だってアンコールでは青学ジャージを着ていたのだ。用意があったのに本編中に着なかったことには、意図があるとしか思えない。

 

だから、あの時フェスティバルを突然にを歌ってたのは、小越リョーマ(テニミュリョーマ)ってだけじゃなくて。

三次元にやってきた、原作の、テニスの王子様越前リョーマだって思った。 

 

様々なゲストキャラクターが来てくれたその中に主人公である越前リョーマがいなかった意味を考えた。きっとおそらく、それは。

おごたんと純ちゃんが、「越前リョーマそのもの」だったからだ。

2人が、確かに越前リョーマとしてそこにいてくれたから、「原作から飛び出てきたリョーマ」だったから、先生は新しく描くことをなさらなかったのだと。

 

アンコールラストの「Love Festival」、2番始まりを純ちゃんとおごたんのWリョーマが見つめ合いながら歌ったこと、そして最後の挨拶でWリョーマによる「まだまだだね」を聞くことができた感動は、もう一生、忘れられない。

 

あの日、確かにあの場所に、越前リョーマは実在した。

 

次元という概念が消失した空間。そこは、夢の世界だった。

1月16日、豊洲PITにて行われた、許斐 剛☆サプライズLIVE~一人テニプリフェスタ~に昼夜参加してきました。あの夢のような空間の素晴らしさを書かずにはいられないので感想を。長くなるのでいくつかに分けます。今回はライブのコンセプトそのものについて。 


許斐先生自身のTwitterから、「どういう形でか原作絵のキャラがライブにゲスト参加するらしい」ということは事前に分かってました。

漠然と、予想はしていたわけですよそりゃ。正面、横、背面と描かれたキャラの立ち絵をみたら。

予測はたしかにあたっていて、けど予測していたはずなのに実際に見た衝撃は、言葉に言い表せないほどだった。

 
「沢山のキャラが遊びに来てくれています、トップバッターはー」

そんな呼び込みで、ステージ上部の扉が開き、そこには。

 

遠山金太郎が、いた。 


その瞬間、皆が悲鳴を上げた。歓喜の、狂喜の、そして驚愕の。 

 

目の前にいるのは天真爛漫で、破天荒で、可愛くて、かっこよくて、私たちのよく知る金ちゃんだ。動きだって金ちゃんそのもの、聞こえてくる声はアニメでずっと聴き馴染んでいた、たしかに彼の声で。歌って踊る姿に合わせるように影も動いて。先生と言葉を交わし、歌を掛け合い、ハイタッチまでしている。

動く原作絵というだけで、意味がわからないというのに。

 

これは夢か現か。私達の目の前で起きている、これはいったいなんだ。

原作から飛び出てきた「ような」ではない。本当に飛び出てきたのだ。

突然映像が投影されて、っていう話じゃない。

扉が開き、彼らがステージに登場し、扉が閉まる。

また扉があいて、扉の向こう帰っていって扉が閉まる。

 

本当にそこに来てくれたように思えた。否、来てくれていた。

 

許斐先生から、今回使っているのは「モーションキャプチャ」という手法なのだと教えられた。リアルタイムで踊っているダンサーさんの動きが、そのまま投影されているのだと。てっきり、事前に録画された映像だと思っていたからすごく驚いて。


だから、と続けられた言葉に、その場にいたものは皆、心の底からの、歓喜を知った。

 
「彼らは いるんです」

  

アクターさんがいるのだから、「キャラそのものではなく、やはり映像である」でもない。「命を吹き込んでいる人がいるんだよ」という話でもない。
「彼らはいる」と、この場に、この空間に、たしかに存在しているのだと、先生がおっしゃってくださったのだ。それが、どれほど嬉しくて、幸せだったか。
紙面や画面にしかいなかったはずの彼らが、原作のままの彼らが、ここにいるという、あり得なかった奇跡がここにあった。

そのあとも不二、幸村と王子様達がやってきて。
白石。彼が「Brave heart」を先生とデュエットした。
この曲は、テニプリCDの300タイトルを記念して出されたもので、越前リョーマのことを、学校の先輩、他校のライバルたちが歌い上げる曲だ。主人公はやっぱりリョーマだと、強く感じさせてくれる曲。


その曲が終わり、次の曲のイントロがかかる。聴いた瞬間にわかった、「フェスティバルは突然に」だ。

この曲は、アニメ10周年記念のテニプリフェスタの際に作られた曲。作者であり、キャラの生みの親である許斐先生と、主人公である越前リョーマがまるで会話をしているような、そんな曲だ。この2曲の流れというだけで、もうテンションは最高潮に。


事前にリョーマの声優である皆川純子さんのゲスト出演が決まっていたこともあり、
おそらくモーションキャプチャでの越前リョーマ、あるいは純ちゃんが出てくるだろと。誰もが思っていた。先生のパートがそろそろ終わる。次はリョーマパートだ。 

 

扉があき、トリコロールカラーのジャージが見える。

出てきた瞬間、私は崩れ落ちそうになった。涙が止まらなくなった。


そこにいたのは、「越前リョーマ」だった。けれどそれは、原作絵の彼ではない。
テニミュ2ndシーズンで、最初から最後まで越前リョーマを演じきった「小越勇輝」その人だった。


本来、テニミュを卒業した筈の彼がこうしてまたリョーマの格好をすることなど、ありえないことだ。事前にゲスト告知があったとはいえ、つい先日まで金髪だったのが分かっていたから、多分「本人として」出てくるものだと、思っていた。

それが、彼が完全なリョーマとして現れた。しかも、歌う曲があれだ。先生とリョーマの、会話のような、それを小越リョーマが。

キャラソンをミュキャスに歌ってほしいなぁ、なんて妄想は何度もしたことがあった。


でも、それが叶う日が来て、その場にいられるなんて、思ってもみなかった。


それも、それまで3次元に原作キャラ達が来ていたのと同じ流れで、かつ、Brave heartのあとに、この曲で。


そこにいたのは「テニミュ2ndのリョーマ」であるのは間違いなくて。仕草も、表情も、声も、テニスフォームも、一年半前までずっと見ていた姿だった。もう二度と、見ることなどできないと思っていた、大好きだったあの姿。


それと同時に「原作から飛び出てきたリョーマ」にも見えた。だってこの曲は、アニメのリョーマが先生と歌う曲で、そしてそれまで出てきた3人のキャラ達は、先生が描き下ろしになったもの、つまり原作絵で。立体になっていて。


そこにいたのは、「テニミュ越前リョーマを演じた小越勇輝」ではなかった。


「完全なる越前リョーマ」だった。


かなわないと思っていた夢が、最高以上の形で叶った。

  

その後に披露された新曲「悲しいね・・・キミが近すぎて」は、キャラクターたちが読者にほのかな恋心を抱くといったもので。先生はどこまでも、二次元であるキャラと、三次元に生きる読者との間にある壁を、なくしてくれているようだった。 

 

先生がお着替えなさる間、「TENNIVERSARY」という、キャラ達が自分たちの部活時代を振り返る曲のインストにのせて無印原作1巻~新テニ最新刊までの振り返り映像が流れた。


そして原作最終回に歌詞が掲載された「Dear Prince~テニスの王子様達へ~」からライブは再開。この曲はブン太が。


続くキャラクターは手塚だ。彼は今ドイツにいる。そこからわざわざ駆けつけたという彼が身にまとうのは、青学ジャージではなく、ドイツ代表のジャージ。その徹底ぶりに、さらに感動させられた。


これまでは、先生との会話をして、ステージを後にしていったキャラクターたち。ところが、手塚がさる時、現れたのは跡部。2人の会話から、跡部の出番へと。
もう、本当に。あの2人の会話が目の前で繰り広げられることの凄さ。 

 

そして、跡部の出番が終わり、まったく聞き覚えのないイントロが。先生が事前に4曲新曲をお作りになったと言っていた。その時点で、新曲はまだ2つしか披露されていなかった。つまりこれは新曲だ。そして、その曲の途中、また扉が開いた。

 

「皆川リョマ子いっきまーす!」

純ちゃんだった。キャラクターたちの出番の後、満を持して主人公声優の登場である。

 

その新曲では、その場に来ていないはずの青学レギュラー全員の声が入っていた。

ほかのレギュラーに関しては声優さんの姿はなくて声だけだから。なおのこと「キャラの声」としか思えないわけで。すると、ステージに立っているのは純ちゃんだと分かってなお、やっぱり「リョーマがいる」としか思えなくなる。

  

そしてアンコールの、ほんとうに一番最後の曲。「Love Festival」この曲は、2011年に発売されている、オールスターによるキャラソンです。2014年にはネルケ主催の大イベントネルフェスにて、テニミュキャスト、純ちゃん、許斐先生で披露されました。この時、ラスサビ前のパートを先生と純ちゃんとおごたんで繋いだという話を聞いて、死ぬほど羨ましかったことを覚えています。その再現が見られたのです。


そして、後ろでは、それまで来てくれてたキャラ達も、また登場してくれました。

  

テニスの王子様の生みの親である許斐先生は、勿論生身の、3次元に生きる人間。

キャラクターたちは、2次元の存在だ。けれど、たしかにその時そこに「いた」。
声優さんである純ちゃんは、2次元の存在であるキャラに命を吹き込んでくれる、やっぱり3次元の人間で。ある意味2次元よりの2.5次元。
俳優であるおごたんは、3次元に2次元のキャラクターを連れてきてくれた、3次元よりの2.5次元。


次元が違うはずの各々が、たしかに一つの舞台の上に、同時に存在していた。 

 

これを奇跡と言わずに、なんと呼べばいいのだろう。

  

このような奇跡を実現させるには、どれほどのことが必要かなんて、こちらが考えたって到底たどり着けないほど、大変なことだった筈だ。


それなのに先生は、みんなに喜んで欲しかったからと笑うのだ。そこには、混じりけのない、純粋な愛しかなかった。

 

 幸せが詰まった、最高の空間で、最高のライブでした。

 

彼らはいつでも「入口」になってくれる。 

「母と暮らせば」見に行きました。

(※この記事ではネタバレ要素はありませんのでご安心ください。)

 

言葉を尽くすより見て欲しい映画だ、と思った。

こんなにいい映画なんだよ、と語って「へぇそうなんだ」ってなってほしいんじゃなくて。ただ見てくれ、とそれだけが言いたい映画だ。

これは、戦争映画じゃない、単なるファンタジー映画でもない。だからどうか、と。

 

けれど、私がこれを見ようと思った理由はやっぱり「二宮和也」が出ているからなのだ。

「自担が出てるからその映画見てみよう。泣ける話らしい、とは聞いているけれど」

そんな程度の認識で見に行った。役者としての二宮さんの演技が好きだからみたい、っていうのもあるんだけど。

 

もしこの映画に彼が出ていなければ、出ていたのがまったく別の俳優さんであれば、私はきっと「ふーん、新しい映画があるのね」くらいで終わっていたはずだ。見に行こうなんて欠片も思わなかったに違いない。

私が普段見に行く映画といえばディズニー作品とか好きなアニメの映画、とかそんなのばかり。邦画を見に行くとしたら好きな小説が映像化されたときだけ、そのくらいだ。邦画の、しかも原作付きではない映画には中々関心を向けたことがなかった。

映画館の大スクリーンで、あの音響で見るなら、映像技術がすごいとか、迫力があるアクションものやファンタジーものがいいかな、なんて思っている部分もあった。

 

だから、今回の映画も、正直に言ってしまえば私が普段興味を向けるジャンルではなかったし、もしかしたらテレビ放映があれば見たかもしれないけれど、積極的に自分から見ることはなかったと思う。

 

そんな縁のないと持っていた作品に触れる機会を与えてくれたのは、彼だ。

結果として私は、すごく素敵な作品を見る機会を得ることができた。

 

そんなことを考えて、私はふと翔さんの言葉を思い出した。

彼は、キャスターをやる意義として「嵐である自分をきっかけに報道に関心を持つ人がいる」ということを語っている。

 

彼らの存在は、入口なのだ。私が今まで興味を持たなかったもの、知らなかったこと、だけど素晴らしいもの、知ったほうが良いこと。そういうことに触れる機会を作ってくれる存在なんだ。

 

 

 

 

 

 

 

心の隙間、埋められました。

私は元々漫画好きないわゆるオタクで、それからドラマや舞台演劇が好きだった。

そんな私のホームジャンルと呼ぶべきは「テニスの王子様」で、そして演劇好きな私が、テニミュに手を出さないでいられるわけがなかった。だけど、私がリアルタイムで追うことができたのは2ndシーズンからだった。逆に言えば、2ndシーズンは最初から最後まで追いかけることができたのである。

期間にして約4年。4年もの間コンスタントに供給があり、自分の生活の一部となるくらいにはまっていたのだ。実際に劇場で観劇し始められたのは本公演で数えて5公演目、関東立海からだったわけだが、それ以降の公演は全て劇場に足を運んだ。年に2度の公演に、その度ごとに出るDVD、そして本公演以外のイベントに、やっぱり出るDVD。

そんな状況を4年も過ごしてきたから、私の中で「テニスの王子様」とはまた別のカテゴリとして「テニミュ」が存在するくらいになっていた。

けれど、物事には終わりは必ずくる。

2014年11月24日、DREAM LIVE2014大千秋楽を持って、ミュージカルテニスの王子様 2ndシーズンの幕が下りて、私は生活の一部を失った。

 

何を大げさなと言われそうだが、それくらいの存在になっていたのだから仕方ない。テニプリはいまだ原作も続いていて、アニメ関連もいろいろあって、「テニスの王子様」はまったく終わってはいない。

それでも「テニミュ2ndシーズン」という作品は終わってしまったのだ。

 

心にぽっかり穴があいたような、という感覚を本気で味わった。日々更新されるキャストの「ありがとうございました」なんてブログを読んでは涙していた。

 

そして、だ。それだけのスペースを占めていたものがなくなったってことはつまり、私の心と生活にかなりの空き容量が生まれているということになる。

 

そのでっかい隙間に入り込んだものがある。アイドルだ。

アイドルって、かなりの長期コンテンツだと思う。少なくとも私が転げ落ちたところは。

ハロプロのグループ、中でも「モーニング娘。」と「アンジュルム」は卒業増員システムがあるからこそ、メンバーが変わってしまっても「そのグループ」は有り続ける。長期的な器があるのだ。

そして嵐。ジャニーズのすごいところは、いくつになっても「アイドル」なところだと思う。グループとしての前例を作ったのはSMAP。そして嵐だってもう全員が三十路超えてもメンバー変わらず、ずっとアイドルやっているのだ。

 

テニミュは、原作である漫画のストーリーをなぞるという性質上、区切れ目が必ず存在する。テニミュがなぞるのは無印原作、つまり既に完結した物語だから。

全42巻を終えてしまえば、キャスト一新、演出や脚本だって変わって、また1巻からスタートの新しい「テニミュ」になる。器がもう変わってしまうのだ。

 

生活の一部になるほど好きだった物語の終わりのショックで虚無感を味わっていた私に、キラキラした、そう簡単に終わりの見えてこない3次元コンテンツってのは、もう恐ろしく魅力的な栄養剤のような存在になってしまったのだと思う。いっそ麻薬だとも言えるだろう。

 

そんなこんなでうっかりアイドルにハマってしまった二次オタ兼舞台好きな人間が、備忘録的感じでブログをちまちまやっていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

沼というものは予期せぬところにしか現れない。2

嵐という言葉を聞いて、思い浮かべるのは天候よりもアイドルだろう。

もはや知らない人などほとんどいないのでは?特別興味がなくてもメンバーの名前言えたりする人だって相当数いるだろう、ってくらいの、国民的アイドルと称されるくらいの存在だ。

ジャニーズの中だと割と嵐好きかも、なんて言葉はよく聞く。かくいう私もそんな一人だった。ドラマを見たり、冠番組を見たり、アルバムたまにレンタルしたり、その程度。

好きだけど、ファンになってるってほどじゃない、っていうものすごーくゆるい感じに追いかける日々を何年も続けていた。だからまさか、私が本格的に「嵐にハマる」日がくるなんて、思ってもいなかった。

 

嵐のデビューした頃話題になってたことも覚えてる、2000年代前半にドラマの主演をそれぞれがやってたことも知ってる。でも、私が好きになったのはおそらく2006~2007年頃からだ。ドラマ好きな私がグループに興味を持ったのは「花より男子」で、好きになったきっかけは「山田太郎ものがたり」が原因だった。それからもう軽く8,9年くらい経っているわけで。でもその間私はずっと「割と好き」なままい続けた。ドラマ出演があれば見たし、冠番組があればチェックしたり、音楽番組に出ると知ったらみたいと思う。アルバムが出たら借りてみたり。

といえば、かなりハマってそうに見えるけれど、どれも「出来たら」「タイミングが合ったら」だ。見れないから録画しようとか、CDを買おうとかまではしていなかった。だからファン、ではなかった。

 

そんな私の変わった1つ目のきっかけは、2013年。

なんと偶然のおかげでその年の嵐のコンサートに参加することができたのである。割と好きだ、なんて思ってたアイドルのコンサートになんか行ってしまったら、それはもう転げ落ちるしかないのだ。現にコンサートに行った当初、夢心地だったし、その後数日はひたすらアルバムを聞いていた。でも、だ。意外なことに「割と好き」が「結構好き」に変わっただけだったように思える。

ただ、その結構好き、が少しずつ大きくなっていった、のだろう。今思えば。

翌年2014年の「弱くても勝てます」というドラマ、主演は二宮和也

山田太郎ものがたりから嵐を好きになった私にとって、自担というべき存在は彼である。生徒役に好きな俳優さんが名を連ねており、これは見るしかないだろう、と。

2014年はじわじわと今まで聴いていなかった曲にも手を出し始めていた頃だ。ありがたいことに割と身近に嵐好きな子がいて、その子にCDを借りたりして。

確実に好きが加速していた。

まぁでもやっぱり去年の私も「ファン」ではなかった。

正直長年割と好きだったのだ、ドツボにハマるきっかけなんていくらでもあったはずなのに(それこそコンサートにいったときなんて最たるだろう)、そこをスルー出来ていたのだ。なのに、どうしてこんなことになったのだろう。

 

2つ目のきっかけ、それは友人のカミングアウトだろう。私の音楽プレーヤーに嵐の曲があることを知った彼女が、「私嵐はまったんだ」と言い出した。

彼女と私の共通点は、「オタク」であることだった。好きな作品はまったくかぶっていなかったが。だからまさか、彼女が急に三次元アイドルにハマるとは、なんて仰天するしかあるまい。

が、日常的に一緒にいることが多い友人と「共通項」ができた。元々私は、ファンまではないけれど「割と好き」だったのだ、そりゃ好きなことついて話せるなら話したい。

彼女との日常会話に、次第に嵐の話が増えていった。

よく、女性は共感を求めるなんて話を聞くが、まさにその通りだったんだろう、私は。

話せる相手がいることで、「好き」がどんどん高まっていった。そうすると、それまで「タイミング合えば」だった冠番組を見るという行為が、録画してでもみようとする、になっていった。

3つにして最大のきっかけ、それは「MUSIC DAY」である。11時間にも及ぶ番組を櫻井翔が司会をし、嵐にしやがれのコラボ企画があるというだけでほぼ全てリアルタイムで視聴し、最後の出番にきゃーきゃー騒いだ自分は、もう相当ハマってるな、とようやく確実に認めた。

元々オタク気質の強い私は、ここまで好きだのなんだの騒いでおきながら、一円も嵐にお金を出していない自分に納得できなくなっててきたのだ。

そして今から入れば今年のツアーの申し込みに間に合うと知った私は、「そうだファンクラブに入ろう」と思い立った。

それ以降も友人との日々会話していくうちに、好きはいつまでも加速し続けて。

日々情報をチェックし、テレビを見て、雑誌を買って、ついにはジャニーズショップにまで行き。

完全にジャニオタになってしまったわけである。沼に落ちる、ってのはある日突然初めてであったものにハマるってことだと思っていたのに。

まさか、元々好きだったものに、急激に落ちていくなんて。 

 

後ちょうど一週間でコンサートに行けるということに衝撃をうけながら、とりあえずこの一週間はアルバムをひたすら聴こうと思っている。