彼らはいつでも「入口」になってくれる。
「母と暮らせば」見に行きました。
(※この記事ではネタバレ要素はありませんのでご安心ください。)
言葉を尽くすより見て欲しい映画だ、と思った。
こんなにいい映画なんだよ、と語って「へぇそうなんだ」ってなってほしいんじゃなくて。ただ見てくれ、とそれだけが言いたい映画だ。
これは、戦争映画じゃない、単なるファンタジー映画でもない。だからどうか、と。
けれど、私がこれを見ようと思った理由はやっぱり「二宮和也」が出ているからなのだ。
「自担が出てるからその映画見てみよう。泣ける話らしい、とは聞いているけれど」
そんな程度の認識で見に行った。役者としての二宮さんの演技が好きだからみたい、っていうのもあるんだけど。
もしこの映画に彼が出ていなければ、出ていたのがまったく別の俳優さんであれば、私はきっと「ふーん、新しい映画があるのね」くらいで終わっていたはずだ。見に行こうなんて欠片も思わなかったに違いない。
私が普段見に行く映画といえばディズニー作品とか好きなアニメの映画、とかそんなのばかり。邦画を見に行くとしたら好きな小説が映像化されたときだけ、そのくらいだ。邦画の、しかも原作付きではない映画には中々関心を向けたことがなかった。
映画館の大スクリーンで、あの音響で見るなら、映像技術がすごいとか、迫力があるアクションものやファンタジーものがいいかな、なんて思っている部分もあった。
だから、今回の映画も、正直に言ってしまえば私が普段興味を向けるジャンルではなかったし、もしかしたらテレビ放映があれば見たかもしれないけれど、積極的に自分から見ることはなかったと思う。
そんな縁のないと持っていた作品に触れる機会を与えてくれたのは、彼だ。
結果として私は、すごく素敵な作品を見る機会を得ることができた。
そんなことを考えて、私はふと翔さんの言葉を思い出した。
彼は、キャスターをやる意義として「嵐である自分をきっかけに報道に関心を持つ人がいる」ということを語っている。
彼らの存在は、入口なのだ。私が今まで興味を持たなかったもの、知らなかったこと、だけど素晴らしいもの、知ったほうが良いこと。そういうことに触れる機会を作ってくれる存在なんだ。