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テニスと芝居とアイドルと

人生初の落語のおはなし。

きっかけは本当に単純。

二宮和也出演スペシャルドラマ「赤めだか」である。二宮担の私は例に漏れず、このドラマを見ており、そして「落語、一度くらい見に行ってみたいなぁ」と思ったわけである。すると、運のいいことに父が「落語のチケットあるけど行くか?」と。

というわけで行ってきました、1月24日、三遊亭小遊三独演会。

まず始めに三遊亭遊里さんによる「まんじゅうこわい」。

私でも知ってるとても有名な話、とは言っても詳しい中身をきちんとしってるわけではなかったので、私はしばらくその話だとは気づいてなかったんだけど。

それまでの軽い雑談のような話ですら、早口のようで聞き取りやすく、そしてテンポや間の取り方がうまい。めちゃくちゃ面白くて大爆笑、ってわけじゃなくて、何気ない話なのに、ちょこちょこ軽く吹き出してしまうような、本当に「話が、というか話し方がうまい」だからこそ、何気ない話なのに笑ってしまう。なるほど噺家、なんて思ったわけだ。

だがそれは、本の序の口だった。実際に噺が始まると、そこにいたのは「たった1人の落語家」ではなかった、数多の人物がそこにはいて、口々に会話を繰り広げている。声色が違う?口調が違う?そんなレベルではなくて。声の出し方が、話し方が、ちょっとした仕草が、全て違う。まるで別人だ。全然違う声か、と言われるとそうじゃないんだけど、なのになぜか別人にしか思えない。

ほんのわずかな視線の向きで、本人たちの立ち位置がわかるようだった。ずっと正座の状態で、たった1人で、小道具はなし。

だというのに、場面が分かる、目の前に、確かに宴会場のような、その空間が見えるよう。

 

それだけで圧倒されたわけで。でもこの方はまだ二つ目の、お弟子さん。

今から、独演会のメインたる人物がやってくるわけで。

小遊三さんといえば、笑点で見たことある人なんて印象で。落語家としての姿はよく知らなかったわけですよ。

そしたらまぁ。今日という日に合わせたお話をすらすらと。そしてちゃんと笑いを取っていく。自虐ネタであったり、客いじりネタであったりといった内容を、しかしまったくもって不愉快な気分とか、かわいそうに、なんて気分にあることなく、ただただ笑ってしまうその話しぶり。徐々にお客さんの笑いのツボを浅くしていく、というか笑いが大きくなっていったところで、さぁお話。

今日の演目は「鮑のし」「文違い」の2つ。

女性役もこなされているわけですが、別に女装してるわけでもない。ビジュアルは本人そのまま、声だって「どう聞いても女性の声」なんてなるわけでもない。

でも確かに、そこには奥さんが、飯盛女が、いたんですよね。かと思えば、気のいいおじさんであったり、いかつい男性だったり、瞬時に演じ分けている。ピシッと頬を叩き、その次の瞬間には叩かれた人物を演じている。会話だって不自然な間もなく成立する。それも、立ち位置がはっきりわかるんですよ。ああ、今こう叩かれたから、この人はこういう方にのけぞったんだろう。2人の立ち位置がこうだから、会話してる時の目線がこうなってるんだな、と自然に認識できる。ただただ、すごい、って思ったし、そういう技術的な面もだけど、とにかく面白いんだ。

古典落語っていうのは、何度も何度も話されてきたものだろう、だけどたくさんの人がききに行きたくなるのは、何度聞いたって面白いからだ。

展開としては、まぁベタな話だったりもすると思うし、似たようなミス(ボケ)が1つの話の中で、何度も繰り返されるのに、毎回同じパターンなのに笑っちゃうってのは、すごいことだと思う。短時間に同じネタを何度聞いても飽きないんだから。

 

そして、あっという間に1つの話が終わり、気づいたら終幕。1時間半。普段2時間超の舞台、3時間近くのライブに慣れた身からするとびっくりするくらい短い。

一つ一つのお話が短めで、笑ってたらあっという間だった。

 

行ってよかっなぁと思うし、一度は行ってみたいな、だったのが。また行きたいなぁ、に変わった。