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テニスと芝居とアイドルと

次元という概念が消失した空間。そこは、夢の世界だった。

1月16日、豊洲PITにて行われた、許斐 剛☆サプライズLIVE~一人テニプリフェスタ~に昼夜参加してきました。あの夢のような空間の素晴らしさを書かずにはいられないので感想を。長くなるのでいくつかに分けます。今回はライブのコンセプトそのものについて。 


許斐先生自身のTwitterから、「どういう形でか原作絵のキャラがライブにゲスト参加するらしい」ということは事前に分かってました。

漠然と、予想はしていたわけですよそりゃ。正面、横、背面と描かれたキャラの立ち絵をみたら。

予測はたしかにあたっていて、けど予測していたはずなのに実際に見た衝撃は、言葉に言い表せないほどだった。

 
「沢山のキャラが遊びに来てくれています、トップバッターはー」

そんな呼び込みで、ステージ上部の扉が開き、そこには。

 

遠山金太郎が、いた。 


その瞬間、皆が悲鳴を上げた。歓喜の、狂喜の、そして驚愕の。 

 

目の前にいるのは天真爛漫で、破天荒で、可愛くて、かっこよくて、私たちのよく知る金ちゃんだ。動きだって金ちゃんそのもの、聞こえてくる声はアニメでずっと聴き馴染んでいた、たしかに彼の声で。歌って踊る姿に合わせるように影も動いて。先生と言葉を交わし、歌を掛け合い、ハイタッチまでしている。

動く原作絵というだけで、意味がわからないというのに。

 

これは夢か現か。私達の目の前で起きている、これはいったいなんだ。

原作から飛び出てきた「ような」ではない。本当に飛び出てきたのだ。

突然映像が投影されて、っていう話じゃない。

扉が開き、彼らがステージに登場し、扉が閉まる。

また扉があいて、扉の向こう帰っていって扉が閉まる。

 

本当にそこに来てくれたように思えた。否、来てくれていた。

 

許斐先生から、今回使っているのは「モーションキャプチャ」という手法なのだと教えられた。リアルタイムで踊っているダンサーさんの動きが、そのまま投影されているのだと。てっきり、事前に録画された映像だと思っていたからすごく驚いて。


だから、と続けられた言葉に、その場にいたものは皆、心の底からの、歓喜を知った。

 
「彼らは いるんです」

  

アクターさんがいるのだから、「キャラそのものではなく、やはり映像である」でもない。「命を吹き込んでいる人がいるんだよ」という話でもない。
「彼らはいる」と、この場に、この空間に、たしかに存在しているのだと、先生がおっしゃってくださったのだ。それが、どれほど嬉しくて、幸せだったか。
紙面や画面にしかいなかったはずの彼らが、原作のままの彼らが、ここにいるという、あり得なかった奇跡がここにあった。

そのあとも不二、幸村と王子様達がやってきて。
白石。彼が「Brave heart」を先生とデュエットした。
この曲は、テニプリCDの300タイトルを記念して出されたもので、越前リョーマのことを、学校の先輩、他校のライバルたちが歌い上げる曲だ。主人公はやっぱりリョーマだと、強く感じさせてくれる曲。


その曲が終わり、次の曲のイントロがかかる。聴いた瞬間にわかった、「フェスティバルは突然に」だ。

この曲は、アニメ10周年記念のテニプリフェスタの際に作られた曲。作者であり、キャラの生みの親である許斐先生と、主人公である越前リョーマがまるで会話をしているような、そんな曲だ。この2曲の流れというだけで、もうテンションは最高潮に。


事前にリョーマの声優である皆川純子さんのゲスト出演が決まっていたこともあり、
おそらくモーションキャプチャでの越前リョーマ、あるいは純ちゃんが出てくるだろと。誰もが思っていた。先生のパートがそろそろ終わる。次はリョーマパートだ。 

 

扉があき、トリコロールカラーのジャージが見える。

出てきた瞬間、私は崩れ落ちそうになった。涙が止まらなくなった。


そこにいたのは、「越前リョーマ」だった。けれどそれは、原作絵の彼ではない。
テニミュ2ndシーズンで、最初から最後まで越前リョーマを演じきった「小越勇輝」その人だった。


本来、テニミュを卒業した筈の彼がこうしてまたリョーマの格好をすることなど、ありえないことだ。事前にゲスト告知があったとはいえ、つい先日まで金髪だったのが分かっていたから、多分「本人として」出てくるものだと、思っていた。

それが、彼が完全なリョーマとして現れた。しかも、歌う曲があれだ。先生とリョーマの、会話のような、それを小越リョーマが。

キャラソンをミュキャスに歌ってほしいなぁ、なんて妄想は何度もしたことがあった。


でも、それが叶う日が来て、その場にいられるなんて、思ってもみなかった。


それも、それまで3次元に原作キャラ達が来ていたのと同じ流れで、かつ、Brave heartのあとに、この曲で。


そこにいたのは「テニミュ2ndのリョーマ」であるのは間違いなくて。仕草も、表情も、声も、テニスフォームも、一年半前までずっと見ていた姿だった。もう二度と、見ることなどできないと思っていた、大好きだったあの姿。


それと同時に「原作から飛び出てきたリョーマ」にも見えた。だってこの曲は、アニメのリョーマが先生と歌う曲で、そしてそれまで出てきた3人のキャラ達は、先生が描き下ろしになったもの、つまり原作絵で。立体になっていて。


そこにいたのは、「テニミュ越前リョーマを演じた小越勇輝」ではなかった。


「完全なる越前リョーマ」だった。


かなわないと思っていた夢が、最高以上の形で叶った。

  

その後に披露された新曲「悲しいね・・・キミが近すぎて」は、キャラクターたちが読者にほのかな恋心を抱くといったもので。先生はどこまでも、二次元であるキャラと、三次元に生きる読者との間にある壁を、なくしてくれているようだった。 

 

先生がお着替えなさる間、「TENNIVERSARY」という、キャラ達が自分たちの部活時代を振り返る曲のインストにのせて無印原作1巻~新テニ最新刊までの振り返り映像が流れた。


そして原作最終回に歌詞が掲載された「Dear Prince~テニスの王子様達へ~」からライブは再開。この曲はブン太が。


続くキャラクターは手塚だ。彼は今ドイツにいる。そこからわざわざ駆けつけたという彼が身にまとうのは、青学ジャージではなく、ドイツ代表のジャージ。その徹底ぶりに、さらに感動させられた。


これまでは、先生との会話をして、ステージを後にしていったキャラクターたち。ところが、手塚がさる時、現れたのは跡部。2人の会話から、跡部の出番へと。
もう、本当に。あの2人の会話が目の前で繰り広げられることの凄さ。 

 

そして、跡部の出番が終わり、まったく聞き覚えのないイントロが。先生が事前に4曲新曲をお作りになったと言っていた。その時点で、新曲はまだ2つしか披露されていなかった。つまりこれは新曲だ。そして、その曲の途中、また扉が開いた。

 

「皆川リョマ子いっきまーす!」

純ちゃんだった。キャラクターたちの出番の後、満を持して主人公声優の登場である。

 

その新曲では、その場に来ていないはずの青学レギュラー全員の声が入っていた。

ほかのレギュラーに関しては声優さんの姿はなくて声だけだから。なおのこと「キャラの声」としか思えないわけで。すると、ステージに立っているのは純ちゃんだと分かってなお、やっぱり「リョーマがいる」としか思えなくなる。

  

そしてアンコールの、ほんとうに一番最後の曲。「Love Festival」この曲は、2011年に発売されている、オールスターによるキャラソンです。2014年にはネルケ主催の大イベントネルフェスにて、テニミュキャスト、純ちゃん、許斐先生で披露されました。この時、ラスサビ前のパートを先生と純ちゃんとおごたんで繋いだという話を聞いて、死ぬほど羨ましかったことを覚えています。その再現が見られたのです。


そして、後ろでは、それまで来てくれてたキャラ達も、また登場してくれました。

  

テニスの王子様の生みの親である許斐先生は、勿論生身の、3次元に生きる人間。

キャラクターたちは、2次元の存在だ。けれど、たしかにその時そこに「いた」。
声優さんである純ちゃんは、2次元の存在であるキャラに命を吹き込んでくれる、やっぱり3次元の人間で。ある意味2次元よりの2.5次元。
俳優であるおごたんは、3次元に2次元のキャラクターを連れてきてくれた、3次元よりの2.5次元。


次元が違うはずの各々が、たしかに一つの舞台の上に、同時に存在していた。 

 

これを奇跡と言わずに、なんと呼べばいいのだろう。

  

このような奇跡を実現させるには、どれほどのことが必要かなんて、こちらが考えたって到底たどり着けないほど、大変なことだった筈だ。


それなのに先生は、みんなに喜んで欲しかったからと笑うのだ。そこには、混じりけのない、純粋な愛しかなかった。

 

 幸せが詰まった、最高の空間で、最高のライブでした。

 

彼らはいつでも「入口」になってくれる。 

「母と暮らせば」見に行きました。

(※この記事ではネタバレ要素はありませんのでご安心ください。)

 

言葉を尽くすより見て欲しい映画だ、と思った。

こんなにいい映画なんだよ、と語って「へぇそうなんだ」ってなってほしいんじゃなくて。ただ見てくれ、とそれだけが言いたい映画だ。

これは、戦争映画じゃない、単なるファンタジー映画でもない。だからどうか、と。

 

けれど、私がこれを見ようと思った理由はやっぱり「二宮和也」が出ているからなのだ。

「自担が出てるからその映画見てみよう。泣ける話らしい、とは聞いているけれど」

そんな程度の認識で見に行った。役者としての二宮さんの演技が好きだからみたい、っていうのもあるんだけど。

 

もしこの映画に彼が出ていなければ、出ていたのがまったく別の俳優さんであれば、私はきっと「ふーん、新しい映画があるのね」くらいで終わっていたはずだ。見に行こうなんて欠片も思わなかったに違いない。

私が普段見に行く映画といえばディズニー作品とか好きなアニメの映画、とかそんなのばかり。邦画を見に行くとしたら好きな小説が映像化されたときだけ、そのくらいだ。邦画の、しかも原作付きではない映画には中々関心を向けたことがなかった。

映画館の大スクリーンで、あの音響で見るなら、映像技術がすごいとか、迫力があるアクションものやファンタジーものがいいかな、なんて思っている部分もあった。

 

だから、今回の映画も、正直に言ってしまえば私が普段興味を向けるジャンルではなかったし、もしかしたらテレビ放映があれば見たかもしれないけれど、積極的に自分から見ることはなかったと思う。

 

そんな縁のないと持っていた作品に触れる機会を与えてくれたのは、彼だ。

結果として私は、すごく素敵な作品を見る機会を得ることができた。

 

そんなことを考えて、私はふと翔さんの言葉を思い出した。

彼は、キャスターをやる意義として「嵐である自分をきっかけに報道に関心を持つ人がいる」ということを語っている。

 

彼らの存在は、入口なのだ。私が今まで興味を持たなかったもの、知らなかったこと、だけど素晴らしいもの、知ったほうが良いこと。そういうことに触れる機会を作ってくれる存在なんだ。

 

 

 

 

 

 

 

心の隙間、埋められました。

私は元々漫画好きないわゆるオタクで、それからドラマや舞台演劇が好きだった。

そんな私のホームジャンルと呼ぶべきは「テニスの王子様」で、そして演劇好きな私が、テニミュに手を出さないでいられるわけがなかった。だけど、私がリアルタイムで追うことができたのは2ndシーズンからだった。逆に言えば、2ndシーズンは最初から最後まで追いかけることができたのである。

期間にして約4年。4年もの間コンスタントに供給があり、自分の生活の一部となるくらいにはまっていたのだ。実際に劇場で観劇し始められたのは本公演で数えて5公演目、関東立海からだったわけだが、それ以降の公演は全て劇場に足を運んだ。年に2度の公演に、その度ごとに出るDVD、そして本公演以外のイベントに、やっぱり出るDVD。

そんな状況を4年も過ごしてきたから、私の中で「テニスの王子様」とはまた別のカテゴリとして「テニミュ」が存在するくらいになっていた。

けれど、物事には終わりは必ずくる。

2014年11月24日、DREAM LIVE2014大千秋楽を持って、ミュージカルテニスの王子様 2ndシーズンの幕が下りて、私は生活の一部を失った。

 

何を大げさなと言われそうだが、それくらいの存在になっていたのだから仕方ない。テニプリはいまだ原作も続いていて、アニメ関連もいろいろあって、「テニスの王子様」はまったく終わってはいない。

それでも「テニミュ2ndシーズン」という作品は終わってしまったのだ。

 

心にぽっかり穴があいたような、という感覚を本気で味わった。日々更新されるキャストの「ありがとうございました」なんてブログを読んでは涙していた。

 

そして、だ。それだけのスペースを占めていたものがなくなったってことはつまり、私の心と生活にかなりの空き容量が生まれているということになる。

 

そのでっかい隙間に入り込んだものがある。アイドルだ。

アイドルって、かなりの長期コンテンツだと思う。少なくとも私が転げ落ちたところは。

ハロプロのグループ、中でも「モーニング娘。」と「アンジュルム」は卒業増員システムがあるからこそ、メンバーが変わってしまっても「そのグループ」は有り続ける。長期的な器があるのだ。

そして嵐。ジャニーズのすごいところは、いくつになっても「アイドル」なところだと思う。グループとしての前例を作ったのはSMAP。そして嵐だってもう全員が三十路超えてもメンバー変わらず、ずっとアイドルやっているのだ。

 

テニミュは、原作である漫画のストーリーをなぞるという性質上、区切れ目が必ず存在する。テニミュがなぞるのは無印原作、つまり既に完結した物語だから。

全42巻を終えてしまえば、キャスト一新、演出や脚本だって変わって、また1巻からスタートの新しい「テニミュ」になる。器がもう変わってしまうのだ。

 

生活の一部になるほど好きだった物語の終わりのショックで虚無感を味わっていた私に、キラキラした、そう簡単に終わりの見えてこない3次元コンテンツってのは、もう恐ろしく魅力的な栄養剤のような存在になってしまったのだと思う。いっそ麻薬だとも言えるだろう。

 

そんなこんなでうっかりアイドルにハマってしまった二次オタ兼舞台好きな人間が、備忘録的感じでブログをちまちまやっていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

沼というものは予期せぬところにしか現れない。2

嵐という言葉を聞いて、思い浮かべるのは天候よりもアイドルだろう。

もはや知らない人などほとんどいないのでは?特別興味がなくてもメンバーの名前言えたりする人だって相当数いるだろう、ってくらいの、国民的アイドルと称されるくらいの存在だ。

ジャニーズの中だと割と嵐好きかも、なんて言葉はよく聞く。かくいう私もそんな一人だった。ドラマを見たり、冠番組を見たり、アルバムたまにレンタルしたり、その程度。

好きだけど、ファンになってるってほどじゃない、っていうものすごーくゆるい感じに追いかける日々を何年も続けていた。だからまさか、私が本格的に「嵐にハマる」日がくるなんて、思ってもいなかった。

 

嵐のデビューした頃話題になってたことも覚えてる、2000年代前半にドラマの主演をそれぞれがやってたことも知ってる。でも、私が好きになったのはおそらく2006~2007年頃からだ。ドラマ好きな私がグループに興味を持ったのは「花より男子」で、好きになったきっかけは「山田太郎ものがたり」が原因だった。それからもう軽く8,9年くらい経っているわけで。でもその間私はずっと「割と好き」なままい続けた。ドラマ出演があれば見たし、冠番組があればチェックしたり、音楽番組に出ると知ったらみたいと思う。アルバムが出たら借りてみたり。

といえば、かなりハマってそうに見えるけれど、どれも「出来たら」「タイミングが合ったら」だ。見れないから録画しようとか、CDを買おうとかまではしていなかった。だからファン、ではなかった。

 

そんな私の変わった1つ目のきっかけは、2013年。

なんと偶然のおかげでその年の嵐のコンサートに参加することができたのである。割と好きだ、なんて思ってたアイドルのコンサートになんか行ってしまったら、それはもう転げ落ちるしかないのだ。現にコンサートに行った当初、夢心地だったし、その後数日はひたすらアルバムを聞いていた。でも、だ。意外なことに「割と好き」が「結構好き」に変わっただけだったように思える。

ただ、その結構好き、が少しずつ大きくなっていった、のだろう。今思えば。

翌年2014年の「弱くても勝てます」というドラマ、主演は二宮和也

山田太郎ものがたりから嵐を好きになった私にとって、自担というべき存在は彼である。生徒役に好きな俳優さんが名を連ねており、これは見るしかないだろう、と。

2014年はじわじわと今まで聴いていなかった曲にも手を出し始めていた頃だ。ありがたいことに割と身近に嵐好きな子がいて、その子にCDを借りたりして。

確実に好きが加速していた。

まぁでもやっぱり去年の私も「ファン」ではなかった。

正直長年割と好きだったのだ、ドツボにハマるきっかけなんていくらでもあったはずなのに(それこそコンサートにいったときなんて最たるだろう)、そこをスルー出来ていたのだ。なのに、どうしてこんなことになったのだろう。

 

2つ目のきっかけ、それは友人のカミングアウトだろう。私の音楽プレーヤーに嵐の曲があることを知った彼女が、「私嵐はまったんだ」と言い出した。

彼女と私の共通点は、「オタク」であることだった。好きな作品はまったくかぶっていなかったが。だからまさか、彼女が急に三次元アイドルにハマるとは、なんて仰天するしかあるまい。

が、日常的に一緒にいることが多い友人と「共通項」ができた。元々私は、ファンまではないけれど「割と好き」だったのだ、そりゃ好きなことついて話せるなら話したい。

彼女との日常会話に、次第に嵐の話が増えていった。

よく、女性は共感を求めるなんて話を聞くが、まさにその通りだったんだろう、私は。

話せる相手がいることで、「好き」がどんどん高まっていった。そうすると、それまで「タイミング合えば」だった冠番組を見るという行為が、録画してでもみようとする、になっていった。

3つにして最大のきっかけ、それは「MUSIC DAY」である。11時間にも及ぶ番組を櫻井翔が司会をし、嵐にしやがれのコラボ企画があるというだけでほぼ全てリアルタイムで視聴し、最後の出番にきゃーきゃー騒いだ自分は、もう相当ハマってるな、とようやく確実に認めた。

元々オタク気質の強い私は、ここまで好きだのなんだの騒いでおきながら、一円も嵐にお金を出していない自分に納得できなくなっててきたのだ。

そして今から入れば今年のツアーの申し込みに間に合うと知った私は、「そうだファンクラブに入ろう」と思い立った。

それ以降も友人との日々会話していくうちに、好きはいつまでも加速し続けて。

日々情報をチェックし、テレビを見て、雑誌を買って、ついにはジャニーズショップにまで行き。

完全にジャニオタになってしまったわけである。沼に落ちる、ってのはある日突然初めてであったものにハマるってことだと思っていたのに。

まさか、元々好きだったものに、急激に落ちていくなんて。 

 

後ちょうど一週間でコンサートに行けるということに衝撃をうけながら、とりあえずこの一週間はアルバムをひたすら聴こうと思っている。

卒業、そして証明。

ちょうど一年ちょっと前に「LILIUM」に出会ったことで見事にハロプロ、とりわけアンジュルムへと転げ落ちた私は今年、アンジュルムのライブツアー、春も夏も両方とも参戦するレベルでハマり。

そしてつい先日。11月29日、百花繚乱福田花音卒業スペシャルはライブビューイングで参戦した。

 

春先のことだ。ハロオタの子と「5/26の武道館公演で初期メンどっちか卒業発表したらどうしよう」なんて話をしていた。そしたらその日のハロ!ステで、福田花音卒業という情報が出された。

嘘だろう、衝撃をうけた。なにせハマりたてだった私は、3期が加入し、これから!というアンジュルムを、もっともっとこのメンバーを追いかけたいと思っていたタイミングでの卒業発表。信じられないという気持ちでいっぱいだった。

そうしたらまたしばらくしてすぐ「4期メンバーオーディション!」なんて情報。

3期入ったばっかりで?!今の最高にバランスのいいメンバーの中にまた増やす?

受け入れられない、そう思っていた。

 

けれど、だ。卒業発表後の2枚のシングル(どちらもトリプルA面)が発表され、計9曲の楽曲を聴き、MVを見て。

初期メンというだけではなく歌やトークでもかなり重要な存在だった彼女が抜けても、今のメンバーなら、と。

そしてだ。ついに発表された4期メンバー。研修生から来るだろうという多くの予想を裏切って一般から1人選ばれた上國料萌衣ちゃん。発表され、そのときに公開された最終オーデ&メンバーとの初顔合わせ映像を見たとき、オーディション開催時には何故、とマイナスイメージしかなかった私は手のひら返したように「入ってくれてよかった」と心の底から思った。

アンジュルムのオーディションに参加しようと思った理由を聞いて、彼女をすぐ受け入れてわちゃわちゃと楽しそうなアンジュルムをみて。

彼女たちに希望しか見えないと思った。

 

それが、確信に変わったのは29日。百花繚乱ー福田花音卒業スペシャルーだ。

卒業の悲壮感はなく、どこまでも清々しい、いい意味でいつものアンジュルムらしい最高のコンサートだった。

 

今回の卒コン、最も印象的で画期的で、最高の演出だと思ったのは「デュエットメドレー」。卒業するかにょんとほかのメンバーが入れ替わりで紡ぐメドレーは、選曲をかにょん自身がしたということで、かにょんのアンジュルムへの愛、ハロプロへの愛がぎゅっと詰まっていた。そして、アイドル福田花音の素晴らしさ、凄さを見せつけられた。

卒業セレモニーの定番だったことをあえてやらず、けれど歌で全てを伝え切った彼女。

8人それぞれに合わせられた楽曲を、全て歌いこなし8曲メドレーをやり遂げた姿に、アイドルとしての彼女の力の素晴らしさを見た。そして、それに最高のパフォーマンスで応える8人に、希望を見た。3期メンバーはもう「新人」なんかじゃない。立派なグループのメンバーとして、十分な存在感と力を持っている。2期だってそうだ、パフォーマンス面でも、それぞれが違った方面に特化した、頼もしい姿。

そして「ずっと守る」と宣言してくれたリーダーのあやちょ、彼女のもつ力強さは、うちからにじみ出ているようだった。ずっとコンサートの間、ずっと笑顔でいてくれた彼女の、なんと美しいこと。

選曲は、私のような新参にだってわかるくらい、残るメンバーの魅力をこれでもかと発揮できる選曲で。自身の卒業コンサートで、こんなにもメンバーの良さと頼もしさを見せつけて、「今後のアンジュルム、心配でしょ?」とファンへ。「それぞれへのエール」をメンバーへ。歌で、パフォーマンスで伝えてくれた彼女は、最高のアイドルだ。

 

かにょんの手紙朗読を聞いたとき、私も同じことを思った。彼女の卒業に寂しさも悲しみもある、でもそこに不安はない。だって、残るメンバーはどこまでも頼もしく、最高なんだから。

彼女の卒業コンサートだったけれど、これは。今後のアンジュルムが、今のメンバーが、そしてかみこちゃんが、どこまでも頼もしく、期待の持てる存在であるか。今のアンジュルムがどれだけ最高のアイドルグループか、証明してくれたのだと思う。

卒業コンサートだけど、寂しさで見たくない、じゃなくすぐにでも見返したくなるようなものにしたい」と彼女は言った。私も思う、早くBDが欲しくて仕方がない。

あの最高に素敵な時間を、早くまた見せて欲しい。

 

1週間が経ち、今更ではあるがどうしても書いておきたかった。

 

しかしまろロス発生すると思っていたら、早速翌日からTwitterでバリバリ活発なかにょんに、ロスが発生する暇もなく。どこまでも彼女は…と、笑ってしまった。最高だよ、福田花音

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

沼というものは予期せぬところにしか現れない。1

私は幼い頃、モーニング娘。が好きだった。十数年前、所謂初期~黄金期の話である。音楽番組に出るのを楽しみにし、ハロモニを毎週日曜喜々として楽しんでいた。

 

なにより私の人生初めて見たコンサートはモーニング娘。のコンサートだった。

当時いくつだったかも正確に覚えていないから誰が在籍していた時期かも分からなければ、セトリも演出も何も覚えていない。覚えているのは「モーニング娘。のコンサートに行った」「それは私の人生初めてのコンサートだった」という事実だけだ。

 

そんな私は歳を重ねるにつれ、漫画にはまり、アニメにハマり。二次元オタクとしての方向へとシフトしていった。娘。をテレビで見かけることもいつの間にか減っていき、「そういや昔流行ってたよねー。え、今もやってるんだ」なんて語る側になっていたのである。

 

今もやってると知ったときは漠然と「パフォーマンスが売りなのか」「頑張ってるんだなぁと懐かしむような気持ちで見ていた。

 

そんな私に一度目の転機が訪れたのは、NHKで放映された55曲一挙放送番組である。

つまりハマってた当時の懐かしい曲も聞けるのか、と軽い気持ちで見た私は、「あれ、思いのほか曲覚えてるな?ああこの曲!」なんて、懐古厨に浸っており、OGのコメントが出る度に当時好きだったころが思い起こされて騒いでいた。

そして現メンバーのパフォーマンスのターンで私はふと思ったのである「このショートヘアの子可愛いな?」

くどぅーこと工藤遥ちゃんである。この時の私は気になって名前を調べるところまでで満足し、終わっていた。

まさかその後、娘。に完全再熱し、くどぅー推しになろうとはまったく思ってもみなかったのである。

 

それから数ヶ月が経った頃だろうか、「LILIUM」という舞台の存在を知った。舞台が元々好きだった私は、物凄く好きな舞台「TRUMP」と世界観を同じくする舞台があると知って、「見たい!」と思わずにはいられなかった。

DVD買うかなぁどうしようかなぁ、なんて悩んでいたところにDVD買う予定だから貸しますよ、という女神のような存在が現れた。

 

そして彼女からDVDを借りたこと、それが2度目にして大きな転機である。結論から行けば、私はモーニング娘。に再熱した、というよりはハロプロにハマった。「LILIUM」はモーニング娘。の選抜メンバーとスマイレージ(現アンジュルム)の共演作品だったのだ。

 

ハロプロにはまりかけた私を、女神は見逃さなかった。他にもDVDありますよ!とスマイレージの2014武道館、そして舞台『スマイルファンタジー』を貸してくれたのである。

公式にMVあがっているなんてありがたいなぁ、と娘。の過去曲を見漁り、TSUTAYAに行ってアルバムを一気に借りてきていた私は、スマイレージも気になるぞ、程度だったのがそのDVD2本で完全に落ちた。

 

そして気が付けば、私はCDを買い、ライブに行くほどハロプロにはまってしまったのである。

 

このブログはアイドルにうっかり転げてしまった人間が語り散らすブログである。