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テニスと芝居とアイドルと

自担が結婚しました。

タイトルの通りです。自担が結婚しました。
書いててびっくりしますねこの言葉。グループの中でも初めてですもんね。最初に結論をいえば、今現在、私はやっぱり二宮担のままです。嵐ファンのままです。ただ今の気持ち残しておこうかなと思って書いてます。

私は彼が1番最初になるとは思っていませんでした。なぜかと言えば「アイドル二宮和也」があまりにも結婚とは程遠い存在に見えていたからです。
休みの日はゲームばっかやってる、超高層階に住んでいてルンバが沢山あってプール付き、でしたっけ?給料はおにぎり何個だとか。オタクが知ってる彼のプライベートは、こんなお話ばかり。これがウソかホントかなんて話は野暮ってなもんで、私はまたいつもの二宮節トークだな、って笑って聞いている。
生活感のあるようでないプライベートトーク、虚と実織り交ぜた独特の言葉回し、そうやって彼はいつでも「アイドル二宮和也」の最適解で居続けてくれている。だから私は私がファンやってる二宮和也というアイドルと、結婚って言葉がずっと結びつかなかった。結び付けずにファンをやっていられた。

発表があった日、トレンドに上がってるのをみても心が全く動かなかった。どうせいつもの週刊誌ネタだなとスルーしていた。この一年足らずで「嵐の言葉だけ信じる」がもう魂レベルで刻まれていたから。
で、22時を回った頃。公式ページに直筆のコメントが載りました。
「あ、マジか」
って思った。いつものくだらない週刊誌のアレ、今回はマジやったんか。そっか。

「なんで今?」
「休止の時は全く漏れなかったのにどうして今回は漏れたのか」
「兎にも角にも週刊誌は滅びてくれ」
浮かんだのはこの3つ。けどその晩のうちに、割とそれぞれに対する自分の意見はそこそこ纏まっていた。今考えてもあの時の私、割と落ち着いていたな、人間まじでびっくりするとかえって冷静になるんだろうか。

休止前に結婚するなんて思わなかった。コンサート直前に発表するなんて思わなかった。
→じゃあ本当に休止後発表だったらどうする?
本当は結婚のための休止だっただの、グループ休止した途端にか、だのと叩かれる格好のネタになったんだろうな。そしてそれに対して彼らがどう応えるのかも見られない可能性だってめちゃくちゃある。その方がキツくない?少なくとも私はそっちのがきついと思うだろうな。
ツアー終わりだったらよかったのか?けど来年だったら余計に「あと1年もないのになんで今なのもうちょっとだけ待ってよ」って、今よりずっと強く考えただろうな。だったら、今の方がまだいいかもしれない。
ツアー前にしなくても、ってのはある。でも、嵐の忙しさ考えたらいつ発表したってどうせ荒れるなぁ。いつだって何かの大仕事の前だ。いやお仕事多すぎでは?もうちょっとちゃんと休んで欲しい。
そして火曜22時の発表。……月曜じゃなくて良かった、翔さんがzeroある日から1番遠い日で。VSのある木曜でもなくて、その前日の水曜日でもなくて。しやがれのある土曜でもない、その前日の金曜日でもない。………あれ、どうせでるなら火曜が1番マシだな?
発表時期に関しては納得できなくもない。最善とは言わずともベターなのでは?
って結論に、発表があったその日の晩には至っていた。

どうして漏れたのか。メンバーの声だけ信じていればいいんじゃなかったのか。
→これに関しては腹が立つ。本人ではなく週刊誌に。メンバーが悪いのか?っていやそもそも他人のプライベートをストーキングして売り物にしてる週刊誌の在り方がまずどうなんだよって話では。アレなんで許されてるんですかね意味が分かりませんね?
「本人の言葉で最初に聞きたかった」
SNSも解禁されたからこそ余計に、それがとにかく悔しかった。悲しかった。
→でも、「嵐」として運営するSNSで、二宮さん個人の発表をされたらどうよ?
嫌だな、せめてFCで発表してよ、ファンに向けての言葉で話してよってなるな。やっぱ下手にSNSで言われたくないからよかったな。今まで「公式アカウント」としての機能を上手く使ってくれてるSNSで、私的な話は、うん、やっぱもやもやしただろうし。
というわけで結論、やっぱり週刊誌は滅んでくれ、それだけだ。
嵐に裏切られた、自担に裏切られた、は不思議と思わなかった。

ここまでが、発表されたその日の晩の私の気持ち。うん、改めて書き起して思うけど、全くもって、嵐に対する、二宮さんに対する負の感情がない。困った。そりゃショックはもちろん受けているんだけれど。お花畑になってる訳じゃないはずなのにあまりにも淡々と「負の感情を向ける程の理由が見つからない」と分析してしまっている。」

だから翌日はとっても困っていた。ショックだとか辛いとかの感情はあるのに理由があまりにも見つかってなくて、なんだか虚無感でずっとぼんやりしている。いっそつらさで泣いてしまうとか、怒って嫌いになるとかならすっきりできただろうに。どうしたら私は、この件をきちんと自分の中で折り合い付けられるのか。

その日1日、ネット上で色々な意見を見た。ファンの人のもだけれど、ファンじゃない人のも沢山。
あ、私これが嫌だったんだって思った。
二宮さんが悪く言われているのを見るのも、嵐に不信感を抱く人のコメントを見るのも、二宮担可哀想って一括りにされるのも、そう言う外野の声が世に溢れるのが嫌だったんだ。
勝手に気持ちを代弁しないでよ、私の気持ちは私の物だ、二宮担だからこう、嵐ファンだからこう、なんて勝手に言わないでよ。嵐のことを、ファンのことをネタにして遊ばないでよ。あなた達には関係ないじゃんって。
でも、理由がわかったと思っても、やっぱりその日ももやもやしたものは、残ったまま。
いやモヤモヤというより不安だったのかもしれない。

「私は今、嵐を見て、二宮さんを見て、本当に好きって言いきれる?」

いざ見たら、今までみたいに好きって言えなくなるかもしれない。そんな不安があった。でも、木曜日の昼間に更新された5×20+を見たら、なんかもう笑ってしまった。「うわ、この嵐が好きだ」すとんと、シンプルにそう思った。私は、「今このタイミングで、知った上で、彼らをみて好きだと素直に思えた自分」の感覚が全てだと思った。その日のVS嵐スペシャルは、そりゃもうめちゃくちゃ楽しんだ、すっごく面白かった、超最高だった。
見終わる頃には、札幌公演が終わっていた、誰も一言も触れなかったらしいと知った。正直良かった、と安心してしまった。だってもし、あの直筆コメント以上を語られていたら、私は「彼らの言葉そのもの」ではなく、「レポという名の誰かの手が加わって意訳された言葉」でしか、それを知る術が無くなってしまうということだから。それに、「祝ってください」なんてそりゃ言わないだろうけど、「ごめんなさい」なんて、もっともっと聞きたくない。「結婚」っていう本来祝福されるであろう事柄を、謝罪すべきものとして語って欲しくない、って思っていたから。だから、触れずに「変わらずコンサートをやりきった」って知って、ああ本当に二宮さんは「今日からも変わらず」を実践してくれてるんだな、とも思った。
その日の、5×20+の公演後の投稿を見た。本当の意味で、「発表後の、彼の今の姿」を、初めて見ることになった。
負の感情はない、もやもやも、あれ、意外と無いな?
ていう理性的な分析をする前に「えーー!かわいーーー!!」が出た。
そこで自覚した、私は「自担が結婚したという事実に冷静に対応出来ている自分を認めるのが怖かった」のだ。だからずっと理由探しをしていた。ショックを受けない筈がないのになぜ私はこうも落ち着いていられるのか、本当にファンだよね?みたいな。だってずっと「もし自担が結婚したら、リア恋的なハマり方は全くしてないのに絶対めちゃくちゃきつい」ってずっと思ってたから、いざそうなったのに冷静な自分が理解できなかったんだ。
自担が結婚したら今までみたいにアイドルとして見られなくなる、偶像として認識できなくなる、と言うのが不安だった。でも違った。
二宮和也という男」が結婚しても「アイドル二宮和也」は何も変わらなかった。ファンが見ることの出来るのは「嵐でアイドルやる二宮和也」だけで、それが変わらないなら、私も変わらず「アイドル二宮和也が好き、嵐が好き」でいいんだなって。
私は知っている。1月27日に嫌という程思い知った。彼らは永遠なんてないって思い知らせてきたはずなのに、「永遠を夢みてもいいんじゃないか」って思わせてくれる存在だってことを。嵐が、どれだけ嵐を大切にしているかも。二宮さんが嵐にむける、あまりにも重たすぎるくらいの愛も。

だからこそ、FC向けに、直筆で、いつも絶対見せまいとしてくれていたはずの「一人の男としての二宮和也」を見せてくれて、声を聴かせてくれて、ありがとうございます。めちゃくちゃ貴重な姿を、見せてもらえたんだなぁって思っています。
今なら素直に思える。二宮さんにとって大好きで特別で大切なグループが、人生の大きな決断をする上での、彼にとっての制約に、枷になってしまわなかったこと。嵐にとって、二宮さんの「一人の男」としての決断が、枷になるって判断されなかったこと。グループを皆が皆大切にしたまま、この道を選ぶことが出来たこと。良かった。

その後にでたどんな報道も、私は知りません。だってそれは、二宮さんがファンに向けて直接伝えてくれた言葉ではないから。だったら、たとえその中にわずかでも事実が含まれていたとしたって、私が知る必要のない情報だ。私が知っているのは、二宮和也が結婚したという事実、そしてこれからも変わらずアイドルでいてくれるということ、そしてそのふたつを彼自身の文字でファンに届けてくれたこと、それだけが全てで、真実だから。
今日からも変わらず、と貴方が言ってくれるなら、こちらだって今日からも変わらずファンで居続けます。というか居続けたい。そういう人間も、ここに1人はいるんですよ。
だから、どうか幸せになってください。幸せでいてください。1ファンとしての、私個人の勝手な願いは、それだけです。

私はこの件はもうこれでスッキリしたんだと思っていた。結局一度も泣かなかったな、私。って思ってた。

さらに翌日。15日。毎月楽しみにしてるのに一気に色んなことがありすぎて抜け落ちてましたよ。「オトノハ」更新。読んで、泣いた。比喩とか誇張とかじゃなく涙が出た。今回の件が出てから、初めて泣けた。
「こんな素敵な言葉を紡いでくれる人が自担の傍にいてくれる。それも、あと3人もいるんだよ」ってことが嬉しくて、自担には最高の仲間が四人もいてくれるって安心して、そんで、嵐のファンでいられる自分が、この翔さんの言葉にぐっとこれる自分がなんて幸せなんだろうって、泣いた。
私の泣き所は、辛い苦しい悲しいじゃなくて、こっちだったんだなって、本当の本当に、やっと、気持ちの整理をつけることが出来た気がしました。


推しグループの休止が決まっても、自担が結婚しても担降りできなかった。それどころか「嵐最高だな!!!!!」って気持ちは増える一方ですね。今もそう。なんでか私は今回の件ですら「やっぱ嵐最高だな!!!!!」ってなってる。困ったな。こりゃもう逃れられそうにもないな?

というわけで、私は変わらず、今日も、明日も、勿論2021年以降だって、嵐のファンで、二宮担です。お花畑?そりゃそうよ、だって最高の夢を見させ続けてくれるアイドル「嵐」を推してるんだからさ!

というわけで今の1番の正直な気持ち。
「来年の新国立のコンサート、絶ッ対行くからな!!!!!」
以上。